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ポールカーのねぐら訪問~憧れの京阪錦織車庫(昭和42&43年) [昔鉄写真]

 昭和40年代初め、電車好き高校生だった私の憧れの関西私鉄。中でもポールカーの急行が走る京阪大津線に惹かれておりました、車庫・工場のある錦織(駅名は近江神宮前)は是非訪れたい場所でした。

錦織タイトル用01.jpg錦織タイトル用02.jpg  昭和42(上)・43年(下)、父と弟との関西私鉄巡りでは、2回とも訪問したのでした。今日はそのときの写真をご覧戴きます。

昭和42年~関西古典電車の残像>

(1) 昭和42年、初訪問時の錦織車庫の全景です。カラフルな塗装とは裏腹に、クラシックな前面5枚窓の電車が居並ぶ光景は、昭和40年代とは思えませんでした。京阪錦織車庫04.jpg  路面電車とは全然違うスタイルの電車たち、しかも集電装置はパンタじゃない!アメリカのインタアーバンのカーバーン (車庫)のような光景に、親子揃って興奮しておりました。

(2)雑誌などで見ていた関西独特のデザイン、前面5枚窓の200形は阪神601・801形によく似た鋼製車です。写真の202号の台車がブリル27Eだったので、父はご満悦でした。阪神・阪急・近鉄・南海と、卵形5枚窓は関西の私鉄に多く見られました。京阪錦織車庫05.jpg トロリーポールにフェンダー、京阪特急色のいでたちは、私のお気に入りナンバーワンでした。

(3)この正面をじっと見ていると、<死ぬまでに模型化したい>と思ったりします(無理かな?)。レトリーバーや左右段違いの標識灯など、関西フレーバー全開ですね。う~~ん、カッコいい!錦織s4210改.jpg2連の急行で、三条通りを行く姿を見ることが出来なかったのは、なんとも残念です。

(4)本線に近い手前に留置されていたのは木造車です!310形の最後の姿に間に合ったわけです。さらに車庫の奥にはなにやら廃車か休車の姿も見えます。はじめ車庫内にお邪魔する予定は無かったのですが、これらの姿を見て急遽予定変更となったのでした。京阪錦織車庫06.jpg

木造310形のディティールをモノクロで~

(5)片運転台の2連に改造されていましたので、連結面側にはポールは有りません。両端のポールからの母線が屋根にもぐっています。錦織s42モノ03.jpg

(6)彫刻的な窓周り&ドア周りの造り。トラス棒の取り付け部の様子もよくわかります。華奢なイコライザーのボールドウィン台車は、純正アメリカものでしょう錦織s42モノ03拡大1.jpg更にご注目は広告ですね。びわこ温泉、紅葉パラダイスは東京でもCMをやっていました。<東洋一のヘルスセンター>というキャッチコピーも懐かしい。船橋ヘルスセンターや、グランスパー長嶋温泉といった施設が人気だった時代です。

(7)錦織s42モノ03拡大2.jpg半円形のアンチクライマーや連結器は、アメリカのインタアーバンによく見られた様式そのものです。急カーブに備えてジャンパー線が連結器と一緒に首を振るようになっていました。やはり関西の古典電車はアメリカン!なんですね。

 

(8~10)<車庫の裏にはお宝>=今のようにイベント時にしか公開しない、なんてことは無かった時代の法則(?)でしたが、ここでも当たり!でした。錦織s42モノ02.jpg 阪急からの譲渡車で、石山・坂本線を走っていた10形が、ずらりと並んで休車中の姿と・・・京阪錦織車庫03.jpg錦織s42モノ01.jpg 京津線の普通に使われた20形のダルマ姿です。


昭和43年~加速した新旧交代>

翌年も訪問した錦織車庫、今度は直接お尋ねしました。1年前の親子3人の訪問を記憶している職員の方もいらして、大変親切にご対応いただきました。

(11)新旧交代の様子がよくわかる光景です。クラシックな5枚窓にかわって、京阪本線のデザインを小形にしたスタイルが目に付きました。錦織s4301.jpg 左から、30・260(車庫内)・200(車庫の奥)・260・80・300(新)の各形式です。

(12)電車ファンとしては左の可愛い電車からチェック!30形はもともと単行の路面形だったのを、京津線急行用に改造した形式ですが、すでに各停用になって、塗装も変更されていました。錦織s4302.jpg そしてその奥には、あまりにも有名な<びわこ号>60形の姿も。前年に京津線各停で運用されているのを見かけたものの、間近で見るのは初めてでした。

(13)職員の方曰く、「この線は使用停止になったばかりの電車が入ることになっている」とのお話でした。錦織s4303.jpg  

(14)大阪~大津直通のため、様々なアイデアを盛り込んで誕生したこの電車。ユニークなスタイルに、しばし見とれたものでした。錦織s43モノ02.jpg  実用のための機能がデザインになっている良い例ではないでしょうか? 

(15)そして、長く京津線急行の顔だった260形。この頃は増備車300形も登場していました。錦織s43モノ01.jpg この電車のデザインも、線区のニーズにあわせた、無駄の無いグッドデザインと思います。錦織s4201.jpg (16)私の大好きな200形は、機器・台車を新車に譲って消えていく寸前でした。

以上、長々とポール時代の錦織車庫のお話をいたしました、ポール集電、急行の各停追い抜き、山越えの急勾配にトンネル、併用軌道、そしてユニークな電車たち

~この時代の大津線は魅力に溢れていたなあ、と今更ながらに思うのです。京阪浜大津s42.jpg(17)浜大津東口にて

最近、分社化のウワサも聞こえてくる大津線ですが、アイデアとサービスの<京阪スピリット>を忘れずにがんばって欲しいものです。


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はーさん

素晴らしい関西の電車拝見しました。
昭和40年代の初めにはこんな魅力的な車が京阪大津線には居たのですね。
関西の電車に目を奪われたのは同じでしたが、訪問した時は時間もなく
阪急、阪神、近鉄のメインの線ばかりを撮っていました。
大阪万博の年に京都山科に住んでいた父の家を訪れ、京津線を撮りましたが、既に急行は260、普通は80になっていました。
この姿も今は昔ですね。
by はーさん (2010-10-09 10:47) 

Cedar

■はーさん様
コメントありがとうございます。
京阪大津線はアメリカのインタアーバンに憧れていた私の大好きな電車でした。パンタ化→地下鉄乗り入れ、と近代化するにつれて魅力が無くなったように感じたのはファンの身勝手ですが、やはりこの頃がいちばん魅力的だったと思います。
今の800形は、とてもいい電車だとは思うのですが・・・
by Cedar (2010-10-09 12:26) 

Junior

 
ただ一言、「カッコイイ!!」。

ええ、木造でトロリー・ポールっすよ! 電車はこれに限ります!!

久しぶりに電車のカッコ良さを思い知りました。

有難うございました。
 
by Junior (2010-10-10 00:57) 

ニャンゲルハンス

昭和40年代だと、首都圏の鉄道でポール集電をしているところはありましたっけ。

関西だと、京福が確か昭和50年くらいまで、ポールでしたね。

今でも旧京都市電の動態保存車両で見ることは出来ますけど。

ブログには神明坂の坂道の軌道の写真を出してます。

他、グルっぽ(コミュニティ)でも、昔の都電の写真を出しています。居見あるようでしたら是非御覧いただけたらと思っています。


by ニャンゲルハンス (2010-10-10 02:06) 

manamana

昭和42年の光景が本当に貴重ですね。
それがたった1年でそうとう近代化されていますから、
ぎりぎり旧型の終焉に間に合ったというタイミングですね。
半円形の5枚窓の電車見れたら、痺れて動けなくなりそうです。
by manamana (2010-10-10 06:56) 

Cedar

■Junior様
京阪の旧型車はほんとにカッコいいです!木造310型は営業運転の姿をキャッチ出来なかったのが残念!もう少し早ければ・・・・
■ニャンゲルハンス様
首都圏で最後のポール使用は江ノ電だったのですが、確か昭和30年代終わりにはZパンタ化されたはずです。ポール時代に一度だけ乗りに行った事があります。
神明坂の写真は拝見いたしました。グルッポの方も近々お邪魔するつもりです。
■manamana様
この関西私鉄訪問は色々な意味でギリギリ間に合った感がありました。木造車、併用軌道、平面交差など、関西の私鉄は、昭和45年の万博の前後で大きく変貌したのでですね。
半円形5枚窓は関西独特ともいえる形で、関東では京急のデ41(→クハ120)・デ51(→クハ140)が似たようなイメージでした。野上電鉄には旧阪神の601形が明治チョコレートの広告電車になって、廃止近くまで残っていました。
by Cedar (2010-10-10 08:54) 

はーさん

ポール集電のお話がありましたが、サンフランシスコのF-lineは全て
ポール集電です。各地のオールドトラムを集めて、トラム(muni metro)の1系統として営業運転しているものですが、全米各地から集めたPCCカーとミラノ市電で主に営業しています。ミラノの電車はミラノではビューゲルだったと思いますがポールに替えています。
何故?と思いましたが、マーケット・ストリートではトロバスと併走しますので、この架線に接触しないようにポールにしたのでは?ないでしょうか?
F-lineにはこれ以外の特別運転があり、9月初旬に訪れた時は、「欲望という名の電車」で知られているニューオーリンズのストリートカー、英国、ブラックプールのオープンカーが走っています。
画像はご覧頂けませんが、そのうち、併HPにアップロード致します。
by はーさん (2010-10-10 09:52) 

Cedar

サンフランシスコのFラインには一度乗りました。私が乗ったときはPCCのみの運転でしたがポール集電でした。黒人の女性運転士が足踏み式のコントローラーで運転していました。
特別運転に行かれたとは羨ましいですね。広島の電車(元神戸の500形)も一時在籍していましたが今はどうなったのでしょうか?
画像のHPへのUP、楽しみにいたしております。
by Cedar (2010-10-10 12:41) 

はーさん

F-ラインの特別運転はフェリーターミナル~フィッシャーマンズ・ワーフ間で運転し、誰でも乗車できました。
日によって運転する車は替えるようです。
元神戸500形は運転出来る状態のようですが、左側通行の車なので、客扱いに難があり、特別運転出来ないとミュージアムの人は言っていました。
by はーさん (2010-10-10 14:35) 

サットン

学生時代バイト先に京津線で通っていました。ユーザーフレンドリーな電車でしたが、今は電車にたどり着くまでが一苦労です。
by サットン (2010-10-10 16:26) 

Cedar

■はーさん様
F-ライン、通常運転の終点はゲイで名高いカストロストリートでしたね。今でも変わりませんか?私が行ったときはまだフィッシャーマンズワーフまで開通していなくて、トランス・ベイ・ターミナルが起点でした。
■サットン様
京津線でアルバイトに行くとは羨ましい。道端からすぐ電車に乗れる、ほんとにフレンドリーですね。低床車でなくてもコレは同じですものね。

by Cedar (2010-10-10 19:23) 

のり

これはまたとても素晴らしい写真です。驚嘆いたしました。愛すべき京津線の電車が総動員。懐かしい特急色の京津線電車もいいですね。
「びわこ」号を復活して運転できるようにするとか・・・、実現すると本当に素敵ですね。
by のり (2010-10-10 21:31) 

京葉帝都

京津線、石坂線は車両限界が小さいのに、半円形5枚窓の電車は貫禄があって大きく見えます。本線の旧1000系並みの重厚さがあります。
京阪ツートンカラー2種類共あったとは。なかなか似合っています。

by 京葉帝都 (2010-10-10 23:17) 

Cedar

■のり様
京津・石坂線の電車はほんとに素敵でしたね。特急色の200形・260形は大好きでした。このときの新車300形の車体は今の600・700形に再利用されているらしいです。
びわこ観光の呼び物として、びわこ号復活運転!ありですよね。
■京葉帝都様
5枚窓の310形や200形は元々京阪線用でした。大正期の京阪線は路面電車並(阪神電車並)の規格だったということですね。
この当時は京阪特急色=電制つき京津急行用、普通色=電制なしの石坂線用、ただし京津各停用の30形、50形、70形は電制あり、と言う区分でした。山越えインタアーバンなんて、此処だけでした。
by Cedar (2010-10-11 00:07) 

はーさん

カストロにはやや気味が悪い感じがして行きませんでしたがF-lineの一方の終点は今でもカストロでした。
フィッシャーマンズ・ワーフではピァー39の手前から大きなループになって
おり、有名な蟹のサインボードの一つ金門橋よりの通りで折り返します。
この近くに宿を取りましたので、便利でした。
フェリーターミナルからピァー39までは大通りの真中に阪堺電車の堺市内のように線路が分離して敷かれており、撮影には好都合でした。
結構混んでおり、一般の公共交通機関として、利用されているようでした。
保存鉄道ではなく、古い車を使ったトラムラインなんて、他に類をみないと思います。

by はーさん (2010-10-11 12:01) 

Cedar

カストロストリートは、ゲイの聖地と言われていましたが、行ってみると全く健全な明るい所でした。
フィッシャーマンズワーフにはケーブルカーでしか行けませんでした、SFはトロリーバスや路面電車、BARTやCALTRAINと軌道系交通が充実していて楽しい町です、もう一度いきたいなあ。
貴兄のコメントに刺激されて、SFの画像をブログにUPするつもりです・・・
by Cedar (2010-10-11 18:39) 

ドラもん

京津線、三条が地下化になる前、80型に乗車した記憶があります。併用軌道上で2度ほど非常ブレーキで停車しました。夕方から夜になってしまったので沿線風景もいまいち楽しめなかった記憶があります。
by ドラもん (2010-10-12 11:19) 

Cedar

ドラもん様
地下化直前はさすがに交通渋滞がひどかったようです、私も蹴上のところで準急と車があわや接触というのを目撃しました。
碁盤の目都市は交通量が増えると厳しいです、京都に首都高はつくれませんしね・・・
by Cedar (2010-10-12 15:12) 

む〜さん

京阪の京都~大津間で30形の二連を見たのは何時だったでしょうか・・・・赤とクリームのツートンカラーでポールを振り立てて急行運転をして居りました。床下は台車だけで電気空気機器は無いんじゃあないかと思うくらい、大いに気に入りましたが、何故か写真を撮ってません。そして、意外と雑誌などでも写真を見ませんでした。
今回、見せてくださって、ちょっと涙モノでありました。感謝っ!!!
by む〜さん (2010-10-13 22:39) 

Cedar

■む~さん様
30形は一見アンバランスな変な電車に見えますが、なかなか愛嬌のある電車です。2連の車体がオリジナルと新造(更新)なのも面白いです。台車の形が独特で、都電4000のものに似ていますね。
by Cedar (2010-10-14 17:28) 

三好と申します

はじめまして。
私、京都新聞の記者の三好と申します。
実は、錦織車庫について紹介する特集記事を2月に本紙で掲載する予定で、いろいろ取材しているのですが、このブログで紹介されている昭和40年代の車庫の写真が素晴らしく、ぜひ、紙面で紹介させて頂きたいと思っております。
よろしければ
yoshihiko-miyoshi@mb.kyoto-np.co.jp
まで、ご連絡頂けないでしょうか?
よろしくお願いします。
by 三好と申します (2011-01-25 17:07) 

としまる

Google検索からこちらへ来ました沿線民です。
昭和40年代~50年代の京阪大津線の写真はネット上では少なく、
貴重なカラー写真を見せて頂きました。
昭和50年代生まれには、
珍しい車両や車庫の様子で参考になりました。
by としまる (2012-07-07 00:15) 

Cedar

■としまる様
ご訪問ありがとうございます。
関東に住んでいますが、関西の電車が大好きで、なかでも京阪大津線のファンでした。

by Cedar (2012-07-07 07:17) 

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