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年末小掃除の発掘物(その2、ちょっと昔の世田谷鉄風景) [アート・本]

今年もいよいよですが、なにぶん独居爺ゆえ、掃除もさっぱりはかどりません。
・・・おまけにこんなモノを発見するたび停滞しちゃう。
世田谷昔写真01.jpg(1)
世田谷区立郷土資料館発行の刊行物、戦後から昭和30年代までの世田谷区の写真が集められています。
これが、かなり鉄分豊富なんですよ~!

例えば、1ページ目からこんな写真が・・・世田谷昔写真04.jpg(2)
昭和36年三軒茶屋交差点、街写真というより、コレは鉄写真ですよね。

こういう情報豊富な写真は大先輩む~さん様に倣って部分拡大です。

ポイント切り替え係員の小屋の隣に交通巡査の詰所
~街が人の力で動いてた時代ですね。
世田谷昔写真04-3.jpg(3・4)世田谷昔写真04-2.jpg
通過する電車は玉電43号。ミゼットやオート3輪が主役のころです、道幅も狭いですがこのあとまもなく東京オリンピックの準備で道幅拡張工事が始まります。

表4には分岐部の俯瞰写真~天下の246がこの道幅だったとはびっくりです。
渋谷行きは角ばった40形、下り方向はまん丸の200形が2編成続行してますね。
世田谷昔写真25.jpg(3)
玉電が連結運転するきっかけは、この分岐で平面交差支障を少なくするためだったとか・・茶沢通りから出てくるリヤカーやスクーターの姿も懐かしい。

この本は区の広報誌なので(1)の上に見えるように地区別にまとめられてますが、こちらは鉄ブログなんで線区別に並べます

ということで玉電沿線の世田谷区風景。
~まずは大橋あたり~今や桜の名所目黒川も、このころはただのどぶ川みたいです。
世田谷昔写真05.jpg(4)
溝の口行き東急バスと並走する200形、手前の分岐は大橋車庫の出入庫線です。早すぎた路面電車の野心作もこの混雑では性能を発揮出来ず終いで、早々と消えていったのは残念でした。
そもそも他の電車の性能に合わせたダイヤだったろうし~今の世田谷線の鈍足はこのころからの伝統か?

その世田谷線の終点下高井戸の昔姿2態
上は昭和25年
~よしず張りの『新鮮』駅売店が郊外(田舎)ムード満点。駅舎越しに旧塗装の玉電が見えます。
世田谷昔写真12ー3.jpg(5)世田谷昔写真12ー2.jpg(6)
こちらは昭和36年の姿。京王帝都電鉄の駅舎に玉電が発着する姿が不思議です。
この頃の様子はガキ鉄Cedarもなんとなく記憶があります。

世田谷昔写真29.jpg(7)
宮ノ坂駅のロードローラー、今の城山通りのようです~こんなのが踏切渡ったらレールがひん曲がりそう~なんて。

~本線(玉川線)にもどって再び三軒茶屋・・

image.jpg(8)茶沢通りの風景、銀座通のロゴは最近まで使われてました。京王バスが新宿伊勢丹まで行ってたんですね~副都心線開通前だったら利用したかも・・・


最近(といってもずいぶん昔ですが)まで残っていた三軒茶屋映画と玉電世田谷昔写真30.jpg(9)image.jpg
(10)桜新町に越して来たころ、ここでよく映画観たなあ~この街に最後まで残った映画館も今年閉館しました
世田谷昔写真31.jpg
(11)妻の記憶によれば、世田谷区の玉電沿線には三宿、三軒茶屋、上馬、用賀、瀬田、二子玉川に映画館があったそうです(下高井戸方面はよく知らないと言ってました)。


(12)三軒茶屋に次ぐ要衝は駒沢です。玉電もここまでの区間運転もあり、道端には駅舎もありました世田谷昔写真15.jpg
80形の中央扉は駅員のいる主要駅でのみ使われ、ステップがガチャガチャ音立てて降りてきました。

そして下2枚は昭和25年の情景です。
(13)東京というより、地方都市の電車を思わせる風景ですね。
世田谷昔写真18.jpg世田谷昔写真18-2.jpg
(14)この頃は40形も車端部に段差があるオリジナル姿、総括制御化前でした。

世田谷昔写真20.jpg
(15)玉川地区で古くからの集落だった用賀、写真は昭和36年ですが昭和44年の廃止まで、電車も電停もほとんど変わらない姿でした。

世田谷昔写真19.jpg
(16)ここで寄り道~用賀から等々力方向に伸びる中町通りが出来たばかりの246の新道とクロスする地点です。高速に蓋されて息苦しい今とは大違いの広々した風景、東急バスもここなら疾走出来ましたね~。
城北のガキ鉄Cedarがここを知ってたのは、当時大好きだった『少年ジェット』というTVドラマのロケをこの辺でやっていた、と雑誌で見たからでした。(用賀生まれの妻は、ロケ風景を見た記憶があるそうです・・・)

そして、終点の二子玉川です。こんな時代もあったんだ~ライズで浮かれてる人たちはびっくりするでしょうね
(17)Cedarはこの雰囲気が懐かしいと思うのですが・・・
世田谷昔写真16.jpg
世田谷昔写真27.jpg
(18)砧線の吉沢駅となってますが、Cedarの記憶にある吉沢とはなんとなく違う雰囲気です~周囲に樹が多いせいですかね?

世田谷昔写真17.jpg
(19)二子橋に大井町線が通ってたころ~Cedarは一度だけ電車で渡りました。

~今は『川向こうの台湾』に行くのにワンワン様と歩いて渡っています・・

世田谷区の南の淵を玉川に沿って走る大井町線の写真も載っています
(20)尾山台駅もこんな感じだったんですね
~両隣の駅は今も中島式(?)駅舎のままなのにこの駅だけモダンになったのはなぜ・・
世田谷昔写真21.jpg

とかとか、こんな調子で、まだまだ郊外〜田舎の風情だった世田谷の昔風景が集められています。

次回は世田谷区内を走る残りの線区の昔風景をごらんに入れますです。

~って自分の写真でもないのにスミマセン!

Cedarのブログは年内はコレで終了です(もうヒト記事と思いましたが無理でした)

ではまた、来年。


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ライズに沈みこむワンワン

中町通りの交差点、これ、渋谷方を向いてるんですね?
坂の感じだけ、いまと同じ。。。
三茶のかっぱ映画館、ついに終わりましたか、、
ほんと、世の中もう変わらなくていいっす!
今年はいろいろありましたね。
来る年も何卒よろしくお願いいたします!
by ライズに沈みこむワンワン (2015-12-30 20:50) 

シグ鉄

下高井戸、その頃、父の友人宅があり、旗の台ー二子玉川園ー三軒茶屋で行った記憶があります。
下高井戸を降りて、未舗装路を歩いていたら、馬が向こうから来て、私の目の前で馬糞をたらしながら通りすぎました。
かくゆう当家も、隣家が鶏を飼っており、それにつっかかる猫をなんとかしてくれ、ということで川向うの高津まで・・
古い東京を思い出させていだだき、ありがとうございます。
by シグ鉄 (2015-12-30 21:56) 

伊豆之国

私もこの本を持っています。
昔、「ボロ市」に行ったときに買ってきた記憶があります。

by 伊豆之国 (2015-12-30 22:12) 

motosan

昭和33-39年にかけ、渋谷から駒沢まで玉電と並走するバスで通学しました。どの写真も懐かしいが、三軒茶屋の思い出をひとつ。
>>80形の中央扉は駅員のいる主要駅でのみ使われ、ステップがガチャガチャ音立てて降りてきました。
下高井戸方面は、専用軌道の入口に当たるので、駅舎があったが、二子玉川方面は、路上なので駅舎はない。しかし中央扉を開閉するために、三軒茶屋映劇の前に、折畳椅子に座った駅員が居て、電車が来ると中央扉をT字型の鍵を使い開閉していました。9・10の写真に写っているオジサンがそうかも。しかし、雨の日なんかは、中扉から降りるのは、ちょいと怖い感じがしましたね。

by motosan (2015-12-30 22:49) 

からんだ

楽しく拝見させていただきました。

写真(5)高井戸ののんびりとした風情がいいですね。
新鮮な…何を売っていたのでしょうか。気になります。

東京にも“郊外”があったんだなと感じました。
地方の路面電車末端区間にはいまでも
この時代の空気が流れていて心地よいです。
by からんだ (2015-12-30 23:32) 

Cedar

■ライズに沈みこむワンワン様
かっぱ映画館(中映)は4・5年前になくなり、今年なくなったのはハナマサの上にあっった名画座でした。あの三角地も若者店(ラーメン屋か肉屋)ばかりになってしまいました。
■シグ鉄様
>猫をなんとかしてくれ、ということで川向うの高津まで・・
っていうのがネコ好きのCedarは気になって仕方ありません・・・
■伊豆之国様
Cedargaこの本を手に入れたのは、ボロ市通りの世田谷区立郷土資料館での世田谷の鉄道展というのを見に行ったときでした。
■motosan様
玉電の中央扉ってなぜあんな扱いだったのですかね。山下駅にも同じような係員がいたのは憶えています。
■からんだ様
東京にも“郊外”があった~いいフレーズですね。
城北の場末(一応都会の端っこ)のCedarにとっては経堂の寺に行くときに味わう郊外気分は新鮮でした。

★ぷっぷく様
★あるまーき様
★モボ様
★hanamura様
★八犬伝様
nice!ありがとうございます


by Cedar (2015-12-31 01:07) 

のり

とても懐かしく感じます。
昭和30年代頃は、大阪にもまだまだ似たような風景が拡がっていたはずなのに…、
あの頃にもう一度戻ってみたい…と無性に思ってしまう今日この頃です。
by のり (2015-12-31 05:46) 

Cedar

◼︎のり様
大阪のこの時代の写真集があれば、ぜひ入手したいです。今年はお会いできて良かったです。
来年は関西出撃の機会増やそうと思いますので、その節は何卒よろしくお願いします。
by Cedar (2015-12-31 09:38) 

ひでほ

素晴らしい本を発掘されましたね。
昭和36年に駒沢にやってきて、そのとき生まれて数か月。
なんとなく記憶があります。
三茶の映画館、焼けちゃったデパート?
駒沢の写真では本屋ののぼりが見えますが、母がバイトしていました。
by ひでほ (2015-12-31 12:03) 

モハメイドペーパー

(7)のロードローラーが懐かしい。昔はよく見かけたけど、これのハンドル機構はウォームギア(ウォームの部分が半分くらい)でした。
by モハメイドペーパー (2015-12-31 12:59) 

伊豆之国

2度目なので、コメントしなくても結構ですが…

駒澤の写真に出ていた本屋さん、ひでほ様に言われて気づきました。
少年時代、よく用もないのに立ち読みしたりして、店の主に怒られたことがしょっちゅうあったのも、今となっては懐かしい、ほろ苦い思い出でした。
最近行って見たらなくなっていて、エステサロンだったかに化けていました…。三茶の角の協和銀行は、カラオケ店に変身していました。
by 伊豆之国 (2015-12-31 13:05) 

福フチ

三軒茶屋の茶沢通り、懐かしいです。
当時三軒茶屋銀座通りとか、どこにでも銀座があるんかいなと思いました(笑)桜新町の映画館もなくなったんですか??
by 福フチ (2015-12-31 14:33) 

Chitetsu

昔の三軒茶屋はこんなに道路狭かったのですね〜。
懐かしい世田谷の風景いっぱいですね。
掃除を終えてまったり拝見しました。
また来年もよろしくお願いします。
by Chitetsu (2015-12-31 17:30) 

Tosi

郷土資料館には建物を見学する目的で訪れるので、刊行物にも、展示品にも、企画展にもこれまでほとんど関心を払ったことがなく、非常に残念ながらこの写真集にも気づくことができませんでした。郷土資料館なのですから写真の時代を現在からみて「ちょっと昔」とみなしてもおかしくはありませんが、それ自体「ちょっと昔」の刊行物なのかもしれません。
郷土資料館本館はプレストレストコンクリート造という技術的な面で評価されることが多いのですが、非常に小さい建物にもかかわらず国立西洋美術館と類似した雰囲気をもつ魅力的な建物です(企画展が開催される増設された新館への連絡通路も含めて)。ルコルビュジェの「無限成長美術館」や「建築的 プロムナード」というコンセプトに基づく美術館・博物館の世界最小例といえのかもしれません。
by Tosi (2015-12-31 17:32) 

Cedar

■ひでほ様
お母様がバイトされてた駒沢の本屋さんは、つい最近(っというのはCedar基準ですから怪しい)まであった駒沢書店ですかね。
三茶の焼けたデパートも知りません~世田谷区民になったのは昭和50年代ですので。
■モハメイドペーパー様
ハンドル機構がウォームギヤってのが、メカ音痴には想像できませ~ん。
■福フチ様
東京(以北)には銀座はいくつあるんでしょう?Cedarの生まれたエリアにも谷中銀座、田端銀座とありましたから・・関西には○○銀座は無いですよね。
桜新町には映画館は無かったと思います。
■Chitetsu様
掃除は結局年越しです~。
来年も色々お世話になります(きっぱり!)、宜しくお願いいたします。
■Tosi様
代官屋敷の並びの資料館には最近は行っていませんが、あの雰囲気はいいですね。
ちなみにこの刊行は1994年10月となっていました。
by Cedar (2015-12-31 18:07) 

Cedar

★AKI様
★nd502様
★UZ様
nice!ありがとうございます
by Cedar (2015-12-31 18:10) 

とーる

今年一年お世話になりました!
どうか良き新年をお迎えくださり、来年も多くの記事を楽しみにしています♪
by とーる (2015-12-31 18:32) 

Cedar

■とーる様
コメントありがとうございます。今年は妻のこともあり、仕込みができませんでしたが、来年は開く恥部に鉄する所存ですので、よろしくお願いします。
by Cedar (2015-12-31 19:09) 

青春M

こんばんは
昔のこの手のものが出て来たらもう整理はストップですね♪
今年も楽しませていただきました。ありがとうございます
御会いできてうれしかったです
来年もよろしくお願いいたします
by 青春M (2015-12-31 19:40) 

ひでほ

再びこんばんは

そうですぅ。

しかしもっぱら母は駒大の中の本屋で働いていました。(駒沢書店の大学構内の書店)
教科書がばんばんうれて、大学の休みに行く慰安旅行は大名旅行ですごかったです。
いまはこちらも別の業者がはいっているみたい。
昭和50年はまだ働いていました。

小生は越後屋工大付属に通っていました。

小生の記憶が正しければ、焼けたデパート(仲見世を大きくしたかんじ)は茶沢通りの入り口わきにありました。

ところで先日、世田谷通りと246に挟まれた仲見世に行ったら、子供のころから知っている豆菓子の店があって感動しました。

世田谷が恋しいです。
by ひでほ (2015-12-31 20:24) 

Cedar

■青春M様
整理とか掃除とかは埋もれていたお宝発掘のためですから、ストップしないと物足りない(かくばく)。
こちらこそよろしくお願いいたします。
■ひでほ様
焼けたデパートって茶沢通り入口に向かって左ですか?
あのエリアもだんだん変わってますが、古いアーケードが残ってたりします。来年も体調に留意されてくださいますように!
by Cedar (2015-12-31 21:26) 

suzuran6

年が明けてしまいました。
今年も、なんだか子供の自分が鼻水垂らしながら写っていそうな風景を楽しませていただきます。
by suzuran6 (2016-01-01 09:30) 

Cedar

■suzuran6様
申年もヘタレブログはマイペースで参ります。
よろしくお願いいたします。
by Cedar (2016-01-01 12:02) 

ひでほ

再びこん**は
茶沢通りに左だったような?記憶です。
国立小児病院に行くとき茶沢通りはよく歩きました。
高校生になって、新玉川線が出来たら・・・国立子供病院の近所に引っ越すことになっちゃいました。
いまは子供病院も移転しちゃったみたいです。
by ひでほ (2016-01-01 16:30) 

Cedar

■ひでほ様
三軒茶屋界隈は思い出深い場所なんですね。Cedarの茶沢通りの思い出はゴリラビルのスナックでしょうか・・・(核爆)

★やまびこ3様
nice!ありがとうございます
by Cedar (2016-01-01 22:39) 

triguraf

1ページ目の写真、ピカピカに輝く先頭のダイハツミゼットを先頭に、名だたるオート3輪が3台も単縦陣を組んで走行しているなんて、なんという素晴らしいシャッターチャンス!玉電が切れてしまっているのは、もはやご愛敬ですね。
by triguraf (2016-01-05 00:07) 

Cedar

■triguraf様
この写真集は絶妙なシャッターチャンスのものが多いです。
公募した写真のようですから、アマチュア写真家も提供してるんでしょうね。
by Cedar (2016-01-05 00:16) 

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